1960 Cissy Zoltowska
ピンクストーンブレスレット

detail: Cissy Zoltowska ピンクストーンブレスレット

1960年代製。
オーストリアのウィーンに生まれたCissy Zoltowskaは、
15世紀のお城で暮らしながら、幼少期を過ごす。
第二次世界大戦から逃れるため、スイスに移住し、セラミックによるジュエリー制作をスタートさせる。

1951年に結婚し、パリで見たコスチュームジュエリーに魅力を感じず、
美しいジュエリーを作るという強い信念のもと、スタイルを変え、
オーストリアのクオリティの高いクリスタルガラスを使用したジュエリー制作し始める。

1950年代から14年に渡って、バレンシアガのジュエリーを制作する。
大きな星のヘッドアクセサリー、パールとクリスタルのパイナップルのブローチなど、才能を発揮する。

1950〜60年代には、1年に2回のコレクションで約300種類のジュエリーをデザインしており、
フランス、ドイツのみならず、ビジネスにも長けた彼女はアメリカ、南アメリカ、日本にも輸出していた。

彼女のジュエリーラインは、大きく分けて2種類あったと彼女自身が語っており、
1つはクライアントに向けたオートクチュールや、ブランドのショーなどのための特別なラインナップ、
もう1つは多くの顧客が買いやすいリーズナブルなラインナップだった。
彼女のジュエリーデザインの最大の長所は、オリーブグリーン、ピンク、イエローといった
カラフルなストーンの美しいコンビネーション。

それは彼女だけに出来たスペシャルなカラーリングであり、他の誰にも真似をすることは出来なかった。
また、イヤリングは長く、大きなデザインが多かった。
イヤリングに関しても、彼女らしい逸話が残されている。
一般的に小さな女性には大きなイヤリングが似合わないと言われていることに対し、
「小さな女性が大きなジュエリーをして何が悪いの!」と答えたという。

ベルギーのPaolaプリンセスが彼女のジュエリーを身につけていたとか、
ブルガリが彼女の才能とビジネスの成功を賞賛したなど、彼女のジュエリーへの評価はとても高いのです。
しかし、彼女のジュエリーはアンサインと呼ばれるサインのないものが圧倒的に多く、
オートクチュールのような特別な作品や、写真などの資料の残った作品、
サインの入った作品しか、彼女の作品と断定できないのが現状です。

そのため、現存する作品数が極端に少ない伝説のデザイナーとなっています。
私も今回の買い付けではじめて実物を見つけることが出来ました。
彼女はパリを拠点にしていたにも関わらず、ヨーロッパのジュエリーディーラーでさえ、
1年に1点見つけることも困難なのです。

こちらのブレスレットは、彼女が好んでよくジュエリーに使用したピンクのカラーストーンを2色使い、
細いメタルを編み込んで制作された繊細で、女性的で美しい彼女らしいジュエリー。
サイン入りの作品です。

言葉にすることはとても難しいのですが、限られたジュエリーだけが持つ風格があります。
Cissyもまた、一目見た時から私がバイヤーである限り、追い求めるデザイナーとなりました。

No BR59
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